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RÄFVEN

03年にスウェーデンはヨーテボリの路上で結成された、サックス、トロンボーン、アコーディオン、ヴァイオリン、タンブラ等さまざまな楽器を駆使する8人組のジプシーパンクバンド、レーヴェン(RÄFVEN:スウェーデン語でキツネという意味)。結成当初はショッピングモールの駐車場での演奏しては注意され、そそくさと別の駐車場へ移動してまた演奏する、というドタバタな活動を行っていた。大所帯のメンバーが一斉に奏でる陽気な民族楽器。その音色に呼び込まれたお客さんは、元サーカス団員も含むメンバーによる演奏とパフォーマンス(アクロバティックなものから、サックスを吹きながらフラフープを回すという「クスッ」と笑ってしまうようなものまで多種多様)に気付けばのめり込んでしまう。彼らの何でもありで爆発的なステージは、またたく間に口コミで広がり、活動の拠点を広げていった。「何時でも何処でも、そこに赤ワインがある限り演奏する」という信念のもと、派手なピンクのバンで移動しては公園、海岸、サーカス会場、民家のテラス、ヨットの上、サッカー場、駅の構内、移動する電車の中、結婚式場、森の中、山の中等々、ライブ会場やフェス以外でも様々な場所に現れては演奏を続けた。08年、世界最大級のフェス「グラストンベリー・フェスティバル」に初出演。フェスでは通常、ライブを行うのはステージ上のみだが、レーヴェンは「何時でも何処でも演奏する」スタイルをそこでも披露。ステージだけに止まらず、路上から駐車場まで、そこら中で朝から晩まで演奏してフェスを盛り上げた。その活動が話題となり、世界中のフェスから注目が集まった。そして09年「フジロックフェスティバル'09」にて初来日。同時に『Welcome To Foxshire~ようこそ不思議なキツネの村へ』で日本盤デビューを飾った。当時、日本では全く無名のレーヴェンだったが、朝から晩まで毎日、多くのステージに出没しては、演奏とサーカス団顔負けのパフォーマンスを繰り返した。今まで日本のフェスでは見なかったその"お家芸"。無名からのスタートながら、ステージを重ねるごとに多くのファンを獲得し、最終日には全てのステージで入場規制がかかり、彼らのライブの噂がフジロック会場中に広がる程まで大きくなった。その熱狂と狂乱の大騒ぎは、フジロック会場内でのアルバム売上歴代記録を塗り替えるほどまで膨れ上がり、強力なライブバンドとして日本での鮮烈なデビューを果たした。レーヴェン熱はフジロック会場内だけに止まらず、CDショップにも飛び火し、『Welcome To Foxshire~ようこそ不思議なキツネの村へ』は洋楽のインストゥルメンタルミュージックで、インディーズリリースの作品ながら、全国のCDショップ店員が選ぶ祭典「CDショップ大賞」にノミネートもした(10年)。鮮烈な初来日の半年後、急遽単独での再来日ツアーが決定し、日本では2枚目の作品となった2枚組アルバム『Next Time We Take Your Instruments!+Live In Gothenburg』(オリジナル1stアルバムと2ndアルバムを2枚組にした日本独自企画)を来日記念盤として発売した。11年、4枚目のアルバム『スウェーデンの物語~Svensk Kulter』を発売。更に大きく成長したレーヴェンは東京恵比寿リキッドルーム、大阪心斎橋クアトロ、そして初の名古屋公演となる名古屋クアトロを廻る3度目のジャパンツアーを成功させた。この来日の一環で行われたタワーレコード渋谷店1Fスペースを使ったゲリラライブには、当日発表ながら店内を通行出来ないほどの観客が集まり話題となった。同時期、日本を代表するゲーム会社スクウェアエニックス社オフィシャルのトリビュートアルバム3作品に参加し、"ファイナルファンタジーのテーマ"をはじめとする3曲のカバー曲を吟遊詩人の如く発表した(『Cafe SQ』、『Beer SQ』、『Last SQ』、『NieR Tribute Album -echo-』)。その後13年に活動10周年を記念する盛大なパーティーを地元ヨーテボリで開催。サーカス団とのコラボレーション、パーカッションプレイヤーのパー・スヴェンナー率いる別ユニットコモド / KOMODOの日本デビュー、日本のタワーレコード限定コンピレーションCD『FOLK ROCK』シリーズへの参加等スウェーデンと日本での活動を続けた。伝説となった初のフジロックから6年後の15年。5枚目のアルバム『よみがえれ!キツネザウルス~Bring Back The Dinos』を携えて4度目の来日、そしてフジロックへの帰還を飾った。前回のフジロックと同じくまた連日多くのステージで演奏したレーヴェンは、遂に会場で2番目に大きなホワイトステージで満員のお客さんの前で演奏するまでに成長した。また、6年間破られること無かった「フジロック会場でのアルバム販売枚数記録」も自ら更新することに成功。日本では無名からスタートしたスウェーデン生まれの民族楽器を奏でるインストバンドの快挙は、日経新聞電子版でも観客を熱狂させたワールドミュージックとして紹介された。2度目のフジロックから僅か3ヶ月後には5度目の来日公演を敢行。「朝霧ジャム」メインステージへの出演を含むツアーは大成功し、来日記念企画盤としてレコードの日(11月3日)に『よみがえれ!キツネザウルス~Bring Back The Dinos』のアナログ盤を限定発売した。スウェーデンに帰国したレーヴェンはラジオ/TVのチャリティー企画としてギネス世界記録にチャレンジ。「24時間以内に異なる都市で最も多くのライブをしたバンド(12都市)」という記録を見事に樹立。17年にはフジロック公式ファンサイトFUJIROCKERS.ORGにて、フジロックの前夜祭ベストライブランキングで見事4位にランクインした。レーヴェンの記録を破ることが出きるのはレーヴェンのみ!18年はレーヴェン結成15周年のお祝いイヤー。さあまた赤ワインを準備して、一緒にお祭りを始めましょう!

Interview:ミヒャエル&シュペッキ(In Extremo) 2019.10.4@赤羽ReNY alpha

 来年、結成25周年を迎えるドイツはベルリン出身の7人組、IN EXTREMO。その出自はとてもユニークだ。何と、中世古楽を演奏する楽団とロック/メタル・ミュージシャンが合体することでバンド結成に到ったのだ。よって、メンバーには古楽器奏者が複数おり、欧州各地の古謡や伝承歌をハード&ヘヴィにアレンジし、バグパイプやハープ、シャルマイ(チャルメラ)などが乱舞するそのサウンドは、中世ロック、古楽メタルなどと呼ばれる。 これまで日本の音楽メディアではあまり大きく取り上げられることがなかった彼等が、先日、奇跡の初来日を果たした! バンドにとっても日本でライヴを行なうことは念願だったという。今回、東京公演当日のリハ後、ショウ本番前のバックステージにてインタビューに応じてくれたのは、バンド創設メンバーのひとりで、絶対的フロントマンであるミヒャエル・ロベルト・ライン(ステージネームはDas Letzte Einhorn)と、'10年加入のドラマー、シュペッキことフローリアン・シュペックアルト(ステージネームはSpecki T.D.)。限られた時間で四半世紀に及ぶバンドの全てに迫るのは流石に不可能…ということで、2人には思い付くままに色々と質問をぶつけてみた!!インタビュー・文・写真:奥村裕司通訳:Uncleowen